高岡銅器の歴史

高岡銅器

高岡銅器の歴史

高岡銅器は富山県西部に位置する高岡市の地場産業です。その起源は400年前1609年加賀藩二代目藩主、前田利長公が高岡築城に際し、城下の繁栄をはかる産業政策の一環として現在の高岡市金屋町に鋳物工場を開設した事に始まります。
当初は鉄鋳物による鍋、釜、等の日用品、鋤、鍬などの農具が主体でしたが、江戸中期になり生活、文化の向上により唐金鋳物の需要が増加し、特に仏具は寺院に限らず一般家庭にも求められるようになりました。
その後、明治、大正、にかけて火鉢、瓶掛、茶道具、置物などの製作が益々盛んになり、高岡銅器の美術的価値が全国に知られるようになり、花器、室内置物などはギフト需要を開拓し大きく成長しました。
また大型銅像の制作も時代とともに全国的に需要が盛んになり、高岡銅器の一大部門として成長しました。
海外では、1862年のロンドン万国博覧会や1867年のパリ万国博覧会の時に、鋳銅器や象嵌彫刻銅器など多く出品され、当時ジャパニズム旋風が起きました。

今日では全国の銅器販売額の95%以上を占め、昭和50年には伝統的工芸品として国の指定を受けました。

高岡大仏

高岡大仏

延享2年(1745年)坂下町極楽寺の発願により、定塚町に建立された木造金色の大仏が高岡大仏の起こりです。文政4年(1821年)の大火で惜しくも類焼しましたが、時の住職の熱心な再興の訴えで、20年後の天保12年(1841年)に復興しました。
ところがそれから60年後、明治33年(1900年)の大火で再び焼失してしまいました。
現在のものは再び焼けることのない鋳銅仏にしたいとの願いから、30年の努力の末昭和8年に完成しました。原型、鋳造とも高岡工人の手によるもので、「銅器の町 高岡」の象徴であるとともに、奈良、鎌倉の大仏とともに日本3大仏の一つに数えられています。

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銅像の種類 株式会社四津井